日本のすがた・かたち
母の日に
点てる茶籠の一椀に
匂う芍薬 子らの笑むかお
紅茶、ウーロン茶、緑茶は同じ茶の木からつくられます。
産地によるものと、製法の違いで多様なお茶の種類が産出されてきました。そのお茶の種類には、その国の長い歴史とともに風習や文化が育まれ、たかがお茶、といっても奥が深い飲料だと思います。
その緑茶の一種の抹茶は、碾茶(ひきちゃ)といわれ、よしず・わらなどにより、約20日間以上日光を遮り、摘んだ新芽は蒸した後、揉まずに乾かします。抹茶はその葉肉だけを石臼で碾(ひ)いたものです。
抹茶は我が国独自のもので、その背景に“茶の湯”が存在します。
裏を返せば、茶の湯や茶道は抹茶というお茶がなければ成立できなくなる可能性があります。なぜなら、若しそれが紅茶のようなものになると、喫茶の作法が変わってくるはずで、ウーロン茶を使う茶道などが出てくるとそれが実感できるはずです。
鎌倉時代、栄西禅師が中国から茶の実を将来し、京都の栂尾でそれが栽培されたといわれていますが、団子状に茶葉を固めたものは既に奈良時代から薬として飲まれていたとの記録があります。茶葉の歴史をたどると、茶の湯はこの抹茶の上に築かれてきたのがうかがわれます。
私は、その茶の湯が日本文化の大きな塊りのひとつと見ています。
それは、禅の精神性や能の演劇性を背景に、気象、天候、建築、庭園、詩歌、美術工芸全般、料理、花、香、服飾、音楽、そしてそれを茶事という、すがたとして目に見えるようにした作法、儀礼など。抹茶の上に成立した日本文化は、日本に暮らす私たちの生活の規範となるものを、限りなく保持し支えています。
冠婚葬祭の礼儀や、料理の最高峰といえば茶懐石というように、また美術品の最たるものは茶の湯の世界での評価が基準となっているように、現在でも日本の老若男女は知らずにこの規範に沿って生活しているといっても過言ではありません。
日本では、なぜ抹茶を生産するようになったのか、インドや中国ではなぜできなかったのか、我が国では、なぜそれが大きな文化の塊となってきたのか。私は、茶事や茶会を通して、なぜ先人がそれを成してきたのかを考えるようになりました。
また、なぜ、世界に類のない抹茶を生産する日本に、美味しい紅茶や烏龍茶ができないのか。と、不思議に思ってきましたが、最近、上質のウーロン茶が静岡県で生産されだしたと聞き、快哉と手をたたきました。
美味しいお茶は、お米とともに日本の自然と気候風土がもたらした当然の産物のようです。先人が積み重ね、工夫してきた和文化の結晶ともいえるものです。
今、ダージリン「レッド・サンダー」を味わいながら、頬杖をつき、この和文化の結晶を、次代に少しでも多く伝えられたらなぁ、と夢想しています。