日本のすがた・かたち
心よき水の中にて喉かわき
水をくれよと君は叫ぶか
家を建てることを「普請(ふしん)をする」といっていました。
30年ほど前まではその言葉が生きていて、子どもの頃は普請や棟上げ、建前(たてまえ)というような建築用語が一般的でした。
今ではこの普請という言葉は死語になり、家を造るから買う、という言葉に変わりました。これは家が規格化され、物品として扱われるようになったためで、住まいが既製品的になったということです。
普請をするということは、普(あまねく)請(こう)ことをするという意味でした。大勢の人の力を請い頼むということで、自分たちの新しい生活を造ってもらうというのと同意語でした。
住まう人間の顔がそれぞれ違うように、建物も違いほとんどが現場一品生産でした。そのため建築するには、一人ではできず、色々な業種の職人たちに委ねる必要がありました。
普請場は、現在の私たちが忘れてしまった、互いに力を合わせるという場所でもありました。そこには互いの顔が見え、建築主も設計、施工者、職方も近所の人たちまでも皆、目的を共有していました。現在の家づくりでは考えられない、人の交流と技の伝達の場にもなっていました。そこには確かに老いが若きに伝える、「息づく伝統」がありました。
またそこには人々の願いがありました。
それは、建てる前には地鎮祭で地を鎮め、上棟式で造りを清め、竣工式で永きを願うという、美しい日本のすがた・かたちでした。太古から伝えてきた祈りのかたちでもありました。
工場でほとんどを製作し、短期間で組み立て完成させることが経済的であることは、世の実情で理解できますが、昨今の経済的な不幸を見るにつけ、何か重要なものを忘れてきたのではないかと思わずにはいられません。
町工場の人たちが集まって人工衛星を打ち上げるニュースは、人が寄り、相和すところの素晴らしさを教えているように思います。「三人寄れば文殊の智慧」の実践のようです。
戦前まで、日本人が永々と繋いできた衣食住の美しき良き仕組みの根っこは、「相和す」思いだったと思われます。個の都合や好悪を優先するのを好まなかった先人の知恵かも知れません。
“あまねくこう”は和を尊ぶ日本人の最も得意とするところです。
若い人たちにそれをどのように伝えられるか、今、それを思いあぐねているところです。