日本のすがた・かたち
折々、ただボンヤリして時を過ごします。
四十半ばから身に付いた習慣です。
三十歳の頃、仕事に瑕疵が生じ、賠償責任を問われました。
私にとっては大きな事件で自分の無力を、イヤというほど知らされました。
その事が縁で、禅僧太田洞水老師の座禅会に通うようになりました。
毎週日曜日の未明からの座禅は「只管打坐」、ただ壁に向かって座るというものでした。二年近くで会から離れましたが、その折に身に付いたことは、折々、静かにただボンヤリ座ることでした。
初めは気持ちを落ち着かせ、集中しようとしていましたが、その内、ボンヤリと想いを巡らせるようになりました。何時の間にか、座るという行動に成果を求めなくなっていたのです。
それが思いがけずに、空想を描き、設計意図を確実なものにできる仕組みというか、装置のようなものに変化していたようで、ある日そのことに気がつきました。
「ただ座る!」老師が常にいわれていたことが身に沁みました。
今日もボンヤリして、仕事のこと、京アニメビル放火、参院選、対韓国、闘病の人、会いたい人のことなどに妄想を巡らせると、何時の間にか、それらは雲散霧消。
正しいと思うことなども消え、確実に「今ココ」を生きている実感だけが残りました。
良寛さんは私と同じ歳の頃、遺偈に「人間の是非、看破に飽たり」と詠んでいます。
私はというと、「未だ看破に飽かず」というところです。
これから益々設計に気合いを入れ、人類が宝物のように思ってくれる建築を造って行きたいと思っています。
それにはなるべく人との出会いを少なくし、淡交ではなく、濃厚な関係を保ちながら「今ココ」を生き、彼の岸へ。これが至高の時の流れ方・・・。
そう思っても世の中はままならず。今年は長雨で陽が出ず、漬けた梅にカビが発生!
直ぐに養生して事なきを得たが、トホッ。
「時は過ぎて行く」。
人生はボンヤリとしていられないようです。
妄想や華の色香にチャネリング
写真:前庭の蓮のつぼみ