日本のすがた・かたち

2019年7月16日
ラフスケッチ

日本のアニメは世界一といわれています。
中でも、高畑勲の『アルプスの少女ハイジ』、『火垂るの墓』や、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』や『風のナウシカ』は、アニメーション映画というより絵画芸術の領域にあるものと思っていました。

二人の活動は同一線状にあり、日本アニメ界の巨匠であることは知っていましたが、先年、高畑の『かぐや姫の物語』を観て、これを世に出した高畑勲に関心を持っていました。

この作品の表現方法は今までのアニメ的なものでなく、日頃、私たちが建築設計で用いているラフスケッチを、そのまま作品にしているような感がありました。
そして、その向こうには日本人よる伝統的な精神が垣間見られ、「鳥獣戯画」や絵巻類を彷彿させる奥行きも感じさせました。

 

国立近代美術館での「高畑勲展」を観て、私の中にストンと落ち、納得の感がありました。これは日本人にしか作ることのできない日本のアニメだと。
高畑勲はそれを「かぐや姫の物語」で成し遂げたと思いました。つまり高畑のアニメは、日本人による日本のアニメを創出した改革者というべきものでした。

 

日本人が日本の建築を造る、とはどういうことか、と、いつも考えてきた私は、高畑のいう日本のアニメと同じことだと思い、改めて日本人にしか造ることのできない建築のことに思いを馳せました。

日本人にしか造ることのできない建築は、木造建築で、その中でも「茶室」が最上位だと思う私は、自然の木材を使い、それに適応する道具を用い、日本文化を包含した茶の湯の儀礼・儀式を展開する空間・・・。それはまた、茶味にかなうという美意識の結晶した建築です。

少し詳しくいえば、「茶室」は内部空間と外部空間によって構成され、造営する者の思想や哲学、それに美的意識を基とした建物を造ります。小間席などは僅か三畳ほどの建築空間です。外部空間の露地も同じことですが、そのすがたを構成するものは、木や草、土や石といった自然界を構成する素材で、それぞれを加工し、組み立てるための道具を創り、高度な技術を駆使して造ります。その全ては、ただ茶の湯にいう「茶事」を催すためのものです。

 

高畑勲はアニメで思想が語れる、としていまが、建築は思想そのものであり、言葉による説明を必要としないところがあります。中でも茶室はその思想性の密度が最も高い建築で、「無言の佇まい」といえるものです。

『かぐや姫の物語』を見ると、アニメも建築もラフスケッチを描く頃が一番エネルギッシュで、思想が横溢する時のようです。「高畑勲展」を観て私はその意を強くしました。そして、手で描くスケッチこそが私の思想そのものだと改めて思いました。

 

高畑勲はロシアのアニメーション映画監督である、ノルシュテインの影響を強く受けていることを知りました。所持していた「霧の中のハリネズミ」が展観されていました。
極限まで完成されたラフスケッチでした。

 

 

写真:上『かぐや姫の物語』(展カタログより)
下『霧の中のハリネズミ』(同)

 

 


2019年7月16日