新之介文庫だより
新之介文庫では、句集『千々繚乱』と共に、句歌都々逸集 『緑の洞』第一弾の出版に向けて着々と準備を進めております。
「建築相聞歌」を読んで
深澤和子
「建築相聞歌」・・・タイトルを見たときには、建築家が好きな建築物への称賛を詠んだ歌が並んでいるのかとも思ったが、すぐにそれは見当違いなのがわかった。
「問いかけ独白する建築家の美意識」・・・独白?
ページを捲ってみると題名が付けられた1行から数行の文章が並んでいる。
独白といっても感情的な言葉ではなく、一歩引いて客観的に考察するような文章だと思った。
様々な観点からの言葉の中に、建築士としての仕事や経営者としての立場で、苦悩や葛藤を抱えつつも真摯に向き合い多忙な日々を生きている著者の姿は想像できるとしても、建築も設計も経営も全くの無知である私には著者の置かれている状況や心情を理解したり共感したりすることは難しい。
そんなふうに思い始めた辺りで、最初の写真が登場した。著者の書である。造形的な文字で島崎藤村の「初恋」の第一連が書かれている。
「まだ上げ初めし前髪の林檎のもとにみえし時…」
中学の授業で何でもよいから詩を暗唱するよう言われ、この詩を選んだことを思い出した。
そこから、写真のページだけ先に見ていった。
書・篆刻・陶芸・友禅・茶杓・ステンドグラス・手書帯・画の20作品が掲載されている。すべて著者の作品である。なんと多才な人なのだろう!
創作物に疎い私でも、単に趣味の域でないことは感じられる。さらに、独白を読んでいくと、前述のような創作だけでなく、茶事を行い、座禅を組み、和歌を詠み、文学や歴史にも精通していることがわかる。
建築というと創作の最たるものであろうから、これらは建築を生業とするために必要な素養だというのだろうか。だが建築士が皆そうだというわけではないだろう。
自分の仕事により高い目標を掲げ、理想を追求し、実現しようとする精神を持っていてこそ、多忙な中でもそれを可能にするのだろう。
しかも著者は決してストイックというわけではなく、楽しみとして創作物に取り組み、ときには酒を楽しみ、ときには心をコムラサキに染めたりもするという人間の幅の広さを感じさせる。
芸術や文化や教養の部分においても貧弱な知識しか持たず、これまで何かを極めようとしたこともなく中途半端に生きてきた私とは、圧倒的にレベルが違う。理解や共感などと考えるのは最初からおこがましいのだ。
そう気づくと、不思議と文章のリズムが心地よく感じられ、どこかに薫り高い和の文化を感じながら一気に読み終えた。
そして一本の樹のイメージが浮かんできた。
まっすぐな幹からいろいろな方向に枝を伸ばし、それぞれの枝は瑞々しい葉を茂らせ、様々な色の花や実をつけている。それでいて全体にバランスよく、とても美しい形を作っている。どこからか昆虫や鳥たちもやってきてはその花や実を啄んだりする。
観る角度によって様々な表情になるその樹は、これから先も絶えず新しい枝葉が育ち、花を咲かせる。
この美しい樹が私のイメージした「建築家」というものかもしれない。
果たして一番高い枝はどこまで伸び、その幹はどのくらい太くなっていくのだろうか。