イベント情報
このお盆休みに若き彫刻師の訪問を受けました。
彫刻師・森田彩乃さんは以前HPで紹介しましたが、大学を卒業後、富山県南砺市井波の仏師・藤崎秀胤氏に弟子入りし、5年間の修業を終え、今はお礼奉公をしながら独立の準備をしているところです。
彼女は毎年正月とお盆に習作を携えて訪れますが、3年目からの著しい成長の跡を見るにつけ、会うのが楽しみになっていました。
今回持参した習作は「猫」でした。
「う~ん、生きているようだな」
私は犬や猫が子供の頃から苦手で、猫は棒で叩き部屋に追い詰めた際、逆襲に遭い怖い思いをしてからダメになりました。
(…彫刻なのに生きているような眼付きで見ているな…)
(前回の少女像は神秘的だったけど、この猫は何か話したそうな眼だなぁ…)
(う~ん、彩乃は世に問える領域に入ってきたな…)
いずれ「三島御寮」造営計画が進んだら、彼女には御堂の本尊「薬師如来」を彫ってもらいたいと思って、そのように頼んであります。
今の世が目指すのは、利益や利便さを積み重ねて行くモット、モットと際限なく積み重ねて行く価値観です。私たちは「新しく」という名の発明や開発は人間に寄与するものであると考え、いつの間にか創り、破壊することの連続性を善しとして、そのことに疑問を持つことを放棄してきました。欲の赴くままのようです。
彫刻という作業は一本の木を限りなく削って行くという、モット、モットの作業とは真逆の消去という行為です。
先日、私は彼女の中に消去のかたちが醸し出す美しさを感じ、清々しい思いをしました。建築の設計も究極どこまで消去できるかを目指すものです。美しさとは饒舌やパフォーマンスや仕草ではなく、消去の果てに顕れてくるもののようです。
今日、若者たちに彩乃さんの話をしました。
来年、三島で彼女の個展を開こうという話がでました。楽しみがひとつ増えました。
「猫は何か考えている」。私はもう一度写真を見ながらそう思いました。
彼女の手が、指が、綺麗になっているのに気が付いた一日でした。
そういえば知らず私は嫌いなはずの猫を描いている。人に聞かれたら「タマは元カノか都々逸の化身だ」と答えようか。
当「和の心にて候」プログは30数か国から訪れ、多くの方が見てくれています。
若き彫刻師・森田彩乃の名を知ってくれるといいな、と思っています。
仕事場で
藤崎秀胤先生と毘沙門天三尊立像を納めた時に
少女像「月あかり」 2015年作
写真: 上 森田彩乃 彫刻作品「猫」2016年作
中 「猫」の祖型
下 「聖観音」2014年作
TP 彫刻作品「猫 」2016年作