日本のすがた・かたち
一週間ほど前、次回の茶事に招く予定をしていた方が突然亡くなりました。
訃報とは何時も突然ですが、5月に一緒に陶芸の窯焚きをすることになっていたので尚更驚きました。そして茶事にお招きした時に展開されただろう情景を思い起こしていました。
準備はお招きする予定の日から約半年前に始め、掃除、道具組、料理の準備、点前のおさらい、露地の手入れ、茶碗や茶杓などの茶道具作りをしながら企画・構成・演出をすることになります。
茶事の舞台は狭い空間の茶室となりますが、これには大きな理由があります。
茶の湯にいう茶事は、招く側と招かれる側の濃密な時の共有であり、多勢で催す茶会とは違い、主客という主人公同士の交わりのため、小人数で狭い空間でなくてはならないことになります。
人間の意識は広い空間で拡散し、狭い空間では濃縮されますが、この濃縮の意識こそが茶事の真髄といえるものです。
お茶は4~5世紀頃から中国で健康促進の薬として用いられていて、我が国には遣唐使により茶の葉が、また9世紀初頭に実が将来され、その後禅院の茶礼を祖型として15世紀には茶の湯の儀式として確立しました。
この文化的発展は他国に類をみないもので、禅の思想性、能の演劇性、茶の芸術性が融合した日本独自の文化形態となり、その舞台が茶室という空間というわけです。
岡倉天心は「茶の本」の中で茶室を、「茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった、今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞たる人生の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇きをいやすことができた。」、と書いています。
「茶室は寂寞たる人生の荒野における沃地であった。」とは、けだし名言です。
私は40代の頃、日本建築の粋は茶室の小間席に在りとして、設計できることを目標としてきました。50半ばになって幾つかの茶室の設計をし、漸く納得の行くものができるようになりました。そこで設計観が一変しました。
「もしかすると、何でも設計できるようになったのではないか…」。
茶室は、茶事を行うことができなければ設計できませんし、茶事は一朝一夕では催すことは無理のようです。
あれから40年。今日も次の茶事のために露地の掃除をしています。
故人の笑顔を偲びつつ、冥福を祈りつつ…。
またひとり 往く人のあり この雪に あの笑み偲ぶ 陶(すえ)の守人