日本のすがた・かたち

2018年1月17日
初詣

この年末年始は殆ど臥せっていたため、除夜の鐘つきも初詣も行かず過ごしました。
去年一年の疲れをとるための松の内のようでした。

15日に三嶋大社では「左義長祭(さぎちょうさい)・どんどん焼き」(ご神火をもって焚き上げる神事)があり、前日、天気が良かったので、散歩がてらにお札やお飾りを持ちお参りしてきました。相変わらず大勢の参拝者がいました。

毎年、何度か三嶋大社を訪れるには訳があって、平成12年に重要文化財指定を受けた本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)や、他に、舞殿(ぶでん)・神門(しんもん)等に、欅(けやき)材を用いた装飾用の優れた彫刻が施されている建造物を拝見する目的があります。

江戸時代末の嘉永7年(1854)11月4日の東海地震で罹災し、その後、慶応2年落成(1866)した、本殿を流造りとする、幣殿、拝殿、複合社殿は、総欅素木造り(そうけやきしらきづくり)で、再建され、その他は明治元年(1868)にかけて随時落成したものです。社殿彫刻は、当代の名工小沢半兵衛・小沢希道親子とその門弟のほか、後藤芳冶良らによるもので、高い完成度と美術的価値を保持しています。
また、建築装飾物の錺金具などに至るまで、当代一流の専門職がその任にあたったものです。

高さ16メートルに及ぶ本殿を観れば、威容は古色蒼然として、往時の工事関係者の人たちを想い、東海地域の社殿としては最大級の木造建築の美を思います。
そして拝殿の一連の彫刻です。

彫刻の図は天照大神、吉備真備、源三位頼政、山幸彦、神功皇后、中国の歴史上の人物などの物語が彫られている他、雲鶴、象、獅子、龍、鳳凰などの吉祥物が夥しい数で構成されています。それも最高レベルの仕事で・・・。

参詣するたびに思うことは、これらの建造物がなくなり、ここが駐車場になり、「旧跡三嶋大社の趾」の石碑が建っているだけだとしたら、初詣例年六十万人といわれる人が来るだろうか、ということです。

先人は力の限りを尽くし、有縁の人たちと共に優れた建造物を造り、その恩恵を子々孫々に伝えています。
この行動は伝統の継承と美の伝達であり、その時代その時に生きた人たちの証でもあります。

建築家を志して四十年、私はその証を建てるために、優れた建築の前に立ち、新たな思いをかき立てています。

 

写真:上 三嶋大社本殿西側 下 拝殿正面 懸魚(げぎょ・「黄石公と張良の図」)
張良は、中国 前漢の高祖 劉邦の功臣として有名。この図は前漢が興る以前、張良が河南省武県で秦の始皇帝を狙撃して失敗し、隠れていたとき、黄石公から太公望の兵書を授けられたという図

 

 


2018年1月17日