新之介文庫だより
明らかにされた『神武以前』日本民族!その源流と潜在意識 山本健造 著
〈日本書紀より正確な飛騨の古伝〉とするこの著作は「飛騨の口碑」を伝え、私に『伊勢神宮』の上梓を促した一冊でした。
日本の歴史はどうしても「古事記・日本書紀」を無視して語ることはできず、中身が主人公の大国主命の活躍が、我が国の歴史に燦然と輝くという物語から始まるものでした。
私が、記紀神話が弥生時代末の頃の物語であることに違和感を覚えたのが、縄文時代の建造物について調べていた頃で、4万年も前からの歴史が遺物としてあるのに、高々二千五百年前のことを神話にしているのは何か変だと思ったものでした。
後年、最も史実に近いといわれる『出雲風土記』を読む機会を得て、記紀の矛盾やまやかしに気がつきました。
『出雲風土記』にはスサノオの子のオオナムチ、孫のアヂスキやフツヌシの名はありますが、子である大国主や五十猛(韓神)、孫の事代主、建御名方の名はありませんでした。
今では、大国主命や大己貴、大物主は偽名で、近くの三嶋大社の主神となっている事代主(または五十猛)のことではないか、と思うようになりました。一人の人物の神名が幾つもあり、それが存在の定かではない矛盾の原点となっているということも・・・。
それらをリードしてくれたのが「飛騨の口碑」であり、この著作でした。
二千五百年前から伝えられてきた口伝は、私の記紀に対する謎の数々を見事に解決してくれました。まるでシャーロックホームズが難事件を解決していくような爽快感さえそこにありました。
その後、その内容を私なりに検証し調べてきました。
今では記紀は、時の権力者が稗田阿礼の(飛騨のシャーマンである阿禮のこと・山本健造説)語る史実を元に太安万侶に記述編纂させた根も葉もあるフィクション本で、権力の座についていた氏族が自分の先祖を神に仕立て、都合の良いように書かせた小説のようなものだ、と思うに至っています。
山本健造の遺した飛騨の口碑にかかる一連の著作は、日本の肇国の歴史を知ろうとする人たちに重いメッセージと与えるとともに大きな影響をもたらすと思います。
絶版となっていた『神武以前』の増版をしましたと、先日、奥方である飛騨福来心理学研究所の山本貴美子理事長より、出来たての御本を頂きました。
以前にも紹介しましたが、これは有縁の方々に是非お読み頂きたいと、関係者で相談した結果、「新之介文庫」で扱わせて頂こうということになりました。直接以下アドレスの福来出版(一般社団法人飛騨福来心理学研究所)か、当新之介文庫にお申し頂ければ幸いです。
きっと大きな日本のすがた・かたちが見えてくると思います。
「福来出版」
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