新之介文庫だより

2017年1月27日
釈迦如来涅槃図

20170127.pngのサムネイル画像2015年12月に出版された『西湖の龍 水戸の虎』ー東皐心越と徳川光圀ーの推薦文をその折にHPに載せた。

著者の高田祥平氏は、その後本格的に執筆活動に入り、次から次へと堰を切ったように上梓の準備をしていると聞く。

「2月の半ばに身延山久遠寺で涅槃会があります。その法要にに本の表紙に使った大きな釈迦如来涅槃図が出されます。一緒にいかがですか。」

釈迦の臨終を東皐心越が描き、水戸光圀が賛を入れたという名画が拝見できるのであれば、「お供仕る」と返事をした。

さあ、スケジュール調整をしなければと思いつつ、見たかった名画と実家の菩提寺の総本山にお参りができる縁の有難さに暫し想いを馳せた。

先年、ネパールに釈迦の生誕の地ルンビニ、インドブッタガヤの霊鷲山、入滅の地クシナガル(TP写真)を訪ねたことがある。

2度のインドの旅は私に大きな変化をもたらした。

涅槃図に描かれた釈迦は、静かに最後の一言を遺し身を横たえたという。                                                      

                                                                「自らを燈火とせよ」(自燈明)

以来、私は自らをともし火として生きる決意をし、今日に至っている。

祥平さんと迷禅問答を展開するだろう旅を楽しみにしている。

鬼籍に入った二人の兄に会いに行くことも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

既載 推薦文

『西湖の龍 水戸の虎』ー東皐心越と徳川光圀ー

 まさに「龍吟ずれば雲起こり 虎嘯けば風生ず」の観。

一気に読み終えた後の清々しさは、久し振りのことだった。

男同士の高潔な付き合い方を、この二人は教えてくれていると思った。

そして、静かながら格調高い筆力…。

 

『西湖の龍 水戸の虎』東皐心越と徳川光圀  著者 髙田祥平(藝文書院刊)

 

先般、先に上梓した『東皐心越(とうこうしんえつ)』(里文出版)を小説仕立てにしたものを書いたと聞いていたが、手にしてみると小説とは思えない小説に仕上がっている。

読中、この種のものに司馬遼太郎の『空海の風景』がある、と思ったのは一度ならず。

会話や情景描写が少なく解説が多いものは小説として難があるといわれているが、この語りはそれを越えている。

 

映画やドラマで有名な「水戸黄門」は、日本人の好む勧善懲悪の精神を顕して余りあるもので、たわいない単純なストリーながら、また印籠が出てくる結末を知りつつも、つい観てしまうものだ。

黄門様は諸国漫遊などしたことはないと承知はしていたが…。

その黄門様像が先の『東皐心越(とうこうしんえつ)』によって消え失せた。同時に徳川家三代から五代にかけてどのように生きたかを知ることになった。

 

九州博多に渡来した憂国の僧・東皐心越はその光圀が帰依するほどの仏力を持っていた。私はその禅僧の名前も知らなかった。

二人の交流は、琴の名手伯牙と友人鍾子期の「断琴の交わり」の如くに昇華し、これこそが「淡交(たんこう)」(君子の交り淡い水の如し)と思えたものだ。

二人が親交した14年の歳月は、徳川家の大名と中国明末清初の禅僧との精神的な交流に留まらず、禅、史学、詩句歌、書画、篆刻など、四君子を現す文人として共に高みに登ろうと励ましあう月日でもあったようだ。

 

文中、眼が止まった箇所は、「光國」の名が「光圀」の文字に変わったくだりと、心越の最後を看取る光圀との情景だった。

著者はその臨終の砌を美しい歌で結んでいる。

 

    鷲の山 分けていづると きくからに

      浅きながれも すめる月影  (光圀)

 

   南無阿弥陀仏 あけくれたのみ かくる身は

      こゝろの月の 影もくもらじ (心越)

 

中国嫌いが我が国に蔓延する昨今、かつての二人の親交は民族や国を超え、人間として心底に流れるぬくもり感じさせるものだ。畏友髙田祥平さんはそこを書きたかったのではなかったか。

氏の面目躍如たるところを多くの方に知って頂きたいと思った。

「梅花雪に和して香んばし」、馥郁たる香りを放つ一冊である。

                                                                   

表紙カバー 「釈迦如来涅槃図」(部分) 

      東皐心越画 徳川光圀賛 元禄2年(1689)

      身延山久遠寺所蔵


2017年1月27日