新之介文庫だより

2015年4月17日
日本古代史-2

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我が国の漆の歴史は古く、縄文時代からのものです。

北海道 北海道南茅部町から9000年前の漆装飾品が出土しています。

これまでは揚子江下流から出土した物が約7000年前のもので、世界最古といわれていましたが、2000年も遡りました。

漆のDNA分析の結果、中国の漆と日本の漆は異なる種類と解り、日本の漆は中国漆の子孫ではないことが判明しました。(青森市三内丸山遺跡から出土した漆の分析から、静岡大学佐藤洋一郎助教授)

土器も中国は8000年、日本は18000年前からで世界最古です。

大陸や中東、西洋が文明の発祥地といわれていますが、これも怪しいものです。

 

飛騨をルーツとする私たちの先祖は、二万年も前に大陸に渡ったとも考えられます。

なぜなら土器を焼く薪の調達技術があれば、丸木舟は容易にできるからです。現に7500前の縄文期の舟が千葉県から発掘されています。

九州西岸から日本海沿いに渡来人が侵入し、殺人や略奪を繰り返し始めたのが今から2400年ほど前と伝わります。(飛騨の口碑)

若しかするとこの渡来人は縄文人の子孫かもしれません。

 

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「忌宮神社(いみのみやじんじゃ)」山口県下関市長府宮の内、に伝わる「蚕種祭(さんしゅさい)」の由来

 

「仁和3年7月、采女(うねめ)時原宿禰春風が言った。」

「先祖は秦の始皇帝11世の孫、功徳王(功満王-こまおう)です。」

「仲哀天皇4年(195年)に帰化入朝し、珍宝蚕種などを献上しました。」

(「三代実録」巻53)

豊浦宮にて蚕が献上された。ここがシルク・ロードの東の入口である。

 

これからすると西暦195年以前に蚕を飼い絹織物を織っていた可能性があります。

日本では早くから養蚕をし、絹を製造していたと考えられる由来です。

絹を世界中に輸出していたとも推測できます。

 

忌宮神社・蚕種祭 http://t.co/VYtZ8Yldjj

 

■ 飛騨の口碑

この三年、口碑を史実の柱として古代史を見ています。

現在のところ、山本健造氏が遺された「飛騨の口碑」に勝る文献はありません。

「古事記」、「日本書記」は、根も葉もある歴史小説本ではないかと思い始めています。

                                                                            

写真: 漆の若葉

                                                                            


2015年4月17日