新之介文庫だより
新之介文庫の佐々木です。
2008年9月に房総半島の西岸にある鋸山に登りました。
鋸山は名の通り、切立った峰の稜線が、幅2~3メートルというところもあり、難所でした。
先達は太田新之介を師匠と呼ぶ、第50次南極越冬隊員になった村上裕資さん。朝3時半出発、懐中電灯と蝋燭を手に、約2時間ののち頂上へ。標高はわずか300メートルくらい。しかし、徒歩で登ると、想像を超える難所。
この朝はあいにくの曇りで、朝日はみることができませんでしたが、山頂で皆でお参りをしました。6人は裕資さんの健脚ペースに最後はダウン気味。下山後は温泉で疲れを癒しました。
太田はなぜ鋸山に登ろうと思ったのか、今でもよく分かりませんが、ここに水晶殿造営主は登り、天啓を受けたと聞きました。
そうか、ここから東の方向は、西は…何か関係が…そうか、箱根強羅そして熱海・水晶殿に何かが…。
この辺のことを太田がHPに書いています。
”何かある光の走るその道に 清ら直なる心躍りぬ”
やはりそうだったのか、と思いました。
千葉鋸山の行基菩薩と弘法大師。
箱根強羅は岡田茂吉。
山梨七面山の日蓮大菩薩。
愛知一宮真清田神社の天火明命(アメノホアカリ)。
京都綾部の出口王仁三郎。 出雲の大国主命(オオクニヌシ)。
そして釜山、光州から中国日照港を経てインドの聖地ルンビニの釈迦牟尼仏。
その先のエルサレムを通り。そして再び日の本へ・・・。
いずれも北緯35度ライン沿いに出現した我が国の大徳たち。
そう、やはり東方の光は西方をめざし、その黄道軸線上に稀なる聖人を生んでいました。
光の走る道には、それぞれの聖なる人々の足跡が刻まれていて、あの日、鋸山の大いなる「気」は、私にそれを見せてくれたのでした。
https://www.wanococoro.org/2008/10/post_30.php
このように書かれています。
わたしには素晴らしい体験でした。
この頃、水晶殿には改修工事への前兆とも思える構造劣化現象が見られた。
太田は岡田茂吉翁の足跡を訪ね、啓示を受けていたのかもしれません。
(写真上 鋸山遠望 下 鋸山磨崖観音様)