新之介文庫だより
新之介文庫の佐々木です。
MOA美術館の下の会館より水晶殿へ通ずる隧道(ずいどう・トンネル)は、昭和29年水晶殿が完成をみる前、掘削をしております。会館からトンネルを通って、水晶殿に至る地下道です。
長さ約135メートル、高低差約6メートル、手掘りで周囲のコンクリートの厚さは36センチメートル前後。丹那トンネル工事に関わった一級の技術者たちの協力で完成。
しかしながら、50年以上経過し隧道に漏水がみられるようになった。また道内の湿気対策を施すなどの必要が発生。そして、このことを含め全体の調査が開始された。水晶殿関連施設の現状把握だった。
周辺の地盤、地層。水脈のこの隧道との位置関係。隧道のコンクリートの亀裂など、劣化が進んでいないか。
道内の内装材のパンチングメタルと下地の鉄骨。
床はどうか、排水は。照明は、換気は・・・などなど調査項目を次々とチェック。この隧道の果たす効果から考えると、この調査は実に重要でした。最近の崩落事故の点検不備などは、まさに論外です。
調査の結果を踏まえて、水晶殿との接合部を含む計画が進められました。もちろんこの先も、調査結果を追跡していくのは、当然です。
太田はこの調査に臨み、実際トンネルを掘った職方森元博さんに聞き取り調査をしました。何も計画が発表されていないのに、造営主の岡田茂吉翁は、ステッキで「ここから掘るように。」と指示され、掘方たちはただ分けも分からず掘り進んだとのことでした。このトンネルが水晶殿と会館を結ぶ地下道であったとは後に分かったとのことです。(この件は書籍『水晶殿』に詳しく書かれています。)
トンネルを掘った土は、水晶殿の前の現在のつつじ山の造成にすべて使われた。出た石も石垣に利用され、場外に何ひとつ搬出されたものはなっかったという。測量も土量計算もしないのに、、、
太田は2008年8月の蒸し暑い夏、この地中のトンネル内で一晩坐禅を組んで過ごすことにした。何か期するものがあったのでしょう。施設管理の安野哲司さんのお世話で、香を焚き、暗闇の中、和ロウソクを立て、たったひとりで。
微かに音が聴こえる 風の音だろうか 人の聲だろうか 風の囁きだろうか
何かが動く気配がする 音の聲を聴こうとした 瞼に手職の灯りが揺らぐのが見えた
線香の煙が動くのが分かった この中では「気」が動いているのか
空気が動くようなことはないのに 幽かな音がづづく 聲の様な音が聴こえる
(『水晶殿』の「そこに至るトンネル」より抜粋)
水晶殿改修計画はつつじ山の地質、地盤の調査も行い、創建当時の状況把握とこれから60~100年の計を立てる計画でもあります。トンネル内に坐った夜明けの熱海は雨が降り、しばらくして清々しく晴れた。
トンネルを測量実測した結果、その中心線は水晶殿の中心の「控之間」の中央をさしていた。太田は水晶殿の新たなナゾに向うことになった。
(写真上 コンクリート抜き調査 中上 隧道中 中下 坐禅 下 雨上がりの熱海 )