日本のすがた・かたち

2017年7月23日
夜叉や鬼女

テレビを観れば毎日というほど、誰かが頭を下げて謝罪しています。10年前には余りなかった光景です。
番組のテーマの大半は有名人の名や失敗を借りて、これでもか、これでもかと責め立てる個人攻撃です。
マスコミの紙面には正義、忖度、説明責任、差別、不適切、暴言、暴行、不倫、離婚、暴露、敵失、スクープ、リーク、炎上などの文字が大きく踊ります。そして今や倒閣運動のビラと化した幾つかの大手新聞。

 

私の対マスコミ観が変わったのは、2年前の参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民団体が8月30日に開いた集会でした。
警察当局は約3万3千人と発表しているのに、主催者の「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」が発表したのが12万人で、それにマスコミも歩調を合わせていました。

それまでは関心が薄かったのですが、マスコミが取り上げている大半の情報は偏向的で、それも意図を持って編集されている事実に気が付きました。
以来、新聞やTV報道を信じることはなくなくなり、臆面もなくウソ情報を載せる大手紙や事実を伝えない地方紙には関心ががなくなりました。

現在は、ネット情報の中から確かそうなものを自分で判断するようにしています。それにしても世知辛い世になったものだと思っています。

 

政治は時代を映す鏡ですし、政治を語らずして時代はありません。
ですが、政治を語るには覚悟がいるもので、特に現代社会では反対意見との闘いが必要となります。
私は大いに関心を持って、一票という投票権利を有しているものですが、やはり目に余ることが多いのが昨今の出来事です。

蓮舫、稲田、辻元、、豊田、上西議員や離婚を餌に連日マスコミを賑わしているタレント達を見ていると、何ともやり切れないものがあります。

その道のプロとはその道で人間としての完成を目指すもの。
人間の完成には、美しさの憧れと品性の高まりがあるべきで、人を陥れるための鬼の形相ばかりでは、哀れな末路が待っているというものです。

それにしても、女性の奥ゆかしさ、つつましさは何処に失せたのか、男子に在れといわれた侠気は、何処に行ってしまたのか。

 

謝罪社会は週刊紙が主導し、他社もそれを増幅させている。

人間の心に内在する憎悪や嫉妬が顕在している時代は、決して幸せとはいえません。

世阿弥の能ではありませんが、女性が皆、夜叉や鬼女に見える時代到来。

 

今年の梅干が出来上がった黄昏時。
甕に仕舞いながら、生き辛くなったなあ、と思いました。

 

梅干や 蓮も見ている おちょぼ口

 

 


2017年7月23日